図書館シリーズです.
図書館にある狩猟関係の本も新しめのものはほぼ読み切った感があり,昔の本に手を出しています.こちらの本はなんと昭和47年刊行ですから,もうざっと半世紀前ですね.
ここまで古いと,射撃のルールも結構違って面白いです.特にスキートの違いは強烈.当時の国際ルールはこうだったそうです.
(1)1番射台で「プール」と声を掛けて,プールを撃つ
(2)そのまま弾を詰め替えて「マーク」と声を掛けて,マークを撃つ.ここまでで2枚.
(3)次の射手に代わる.
(4)全員撃ったら,次の射台に移る.
こんな感じで7番射台までいきます.プールとかマークと声を掛けるのも面白いですが,それはおいておいて,そうです.7番までで14枚,シングルしか撃ってないのです.そして,
(5)8番射台で全員が順番にプールだけを撃つ.
(6)8番射台で全員が順番にマークだけ撃つ.
ここまででシングル16枚で,ここまでを「シングル射撃」と呼んでいたそうです.その次は
(7)1番射台で2発弾を込めて「ダブル」と声を掛け,両方撃つ.撃つ順番はこの本には明記されてないが,逆撃ち時の撃ち直しの記述があるので,決まっていたと考える.
(8)そのあと,2,6,7番射台と順番にダブルだけを撃つ.ここまでで24発使うことになる.
(9)1番から撃っていくときに最初に失中したところでのみもう1発だけ撃てる(リピートという)
(10)外さなかった人は1発余っているので,その場合は,好きな射台で撃てる(オプションという)
というわけで,シングルとダブルを分けて回っていたってことは,今よりもだいぶ時間がかかっただろうなぁというのもありますけど,もっと驚いたのは,リピートやオプションという制度ですね.今とは全然違うルールですけども,スキートは私が射撃を始めてからでもルールは変わってるし,これからも変わっていくように思います.実際にそれにあわせて,銃も変わっていると聞いています.
あとは許可手続きも結構違ったみたいですね.今は初心者講習(学科)を受けた後で,教習射撃(実技)を受けて,所持許可申請ですが,当時は猟銃等講習会,または狩猟者講習会のいずれか片方でよく,更に実技はなくそのまま所持許可申請に進めました.狩猟者講習会でも良かったというのが面白いなと思いました.あとは更新が5年毎(現在は3年毎)だったというのもうらやましい違いです.銃自体については概要は変わりませんが,当時はガスオートは耐久性がなくて壊れやすいものであるという認識だったようです.
リローディングについての記述はありません.しかし装弾についてはこの本が出る十年くらい前までは,手詰めをしていたとの記載があることから,昭和30年代までは手詰め機が日本でも普通に使われていたであろうことが分かります.いくつかの資料館(ニッカとかだったかな?)で携帯型のリローダを見たことがあるので,そういうのが普通に作られていたのでしょうね.
この本の主題である,クレーの射法に関しては,今でも言われているスタイルだったり,その時代に著者が経験から編み出した方法ですから,別段異論はないのですが,ショットコロンに関しては銃身のシナリが強いほど長くなる,という謎の記述があります.(想像だと思う)
出版物の紹介では,雑誌以外に「日本ハンター新聞」月二回で年間二千円,「ガン・レジャー・ニュース」月一回で年間600円などがあると書かれています.どんな記事が載っていたのか興味がありますね.
射撃場案内では今の成田が,SKB成田として載っていて,さすがに都内には当時もなかったけど,都下なら八王子クレーというのが載っています.あとは都内から近そうなのでは,松戸と我孫子にもあったのですねぇ.
ちなみにこの本の著者は北晴夫さんという方で,何年か前までご存命だったとのことです.ご高齢になっても熱心に射場に通われていたと聞きました.まさにクレー射撃人生だったのでしょうね〜.ちなみに著者紹介には「小学4年で空気銃を持ち,数年後狩猟の練習としてクレーを始める」とあります.日本でもアメリカみたいな時代があったのですねぇ.もし今のようにギチギチでなければ,日本射撃界のレベルは段違いに高かったろうなぁ.